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当寺は、その昔効野の中に建立されており古老等は弘法大師の開基であると伝え
ているも、何時、誰人の創建であるか詳かでない。当初の堂宇は宏麗壮大を極めた
と伝えるも、数百年を経て天正(1573〜92)年中兵火にかかり経巻、建物等総て灰燼
となる。
その後精尭上人(西家家出身:寛永9年(1632年)没)出で、その事蹟の消滅する
ことを痛み、三密の道場及び僧院を建て勤行怠らず、故にこの上人を篠山の開基と
する。
以降代々精尭上人の志を継ぎ、第7世宥昌上人、性質度量偉大にして常に精舎の
田野にあるを愁い、勝地に移さんと願う。或る日篠山城跡に登って四囲を見るに、
西を望めば石鎚の山連立し、北を見れば蒼海に帆船が往来し、東には原野広がり
民家を一望する勝地である。
そこで元禄(1688〜)初年君主の許しを得て、山頂に延命閣を建て、地蔵菩薩を
安置し、北しゅうには大悲閣を建て、観音像を安置し、西岳には金堂を構えて
薬師如来を祭り、東北には大師堂を建て、平地に本堂僧院を建て大日、不動、
愛染、多聞天等を安置する。
その構えは連なりめぐる宏麗なものであったが惜しい哉、享保(1716〜36)年中
再び火難にあい、仏閣僧院一時に焼土となる。只山上の殿堂のみ突出して残り
荒廃すること40数年、第11世純浄上人の代に至り、壇信徒が力をあわせて
宝暦11年(1751年)建立された。その本堂の
棟札に上記西福寺の歴史的経緯が述べられている。 なお、現在の本堂は昭和60年(1985年)春に建立されたものである。
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